モンゴルから来た少年の大学生活
モンゴルの高校を卒業し、東京の日本語学校で大学進学を目指していたときに知り合ったE君。
日本の一流大学に進んで、その後どうしたかなと思っていたら、
「東京に行くので会いませんか?」
というデートのお誘いが舞い込み、今日、ランチしてきました♪
と言っても、もちろん、夫も一緒です。
モンゴルに一時帰国する前に、東京で何日か過ごし、知りあいに会ったり、行ってみたかったところに遊びに行ったりして、青春を謳歌しておりました。5か月ぶりに会ったけれど、かわいい笑顔はそのままで、ちょっとだけたくましくなった感じでした。
「日本の科学博物館はすごいですね」
彼は昨日、一日中上野の科博にいて上から下まで、なめるように見学していたそうです。
胸を張って進学した大学は、予想以上に手ごたえ十分で、日本語で困ることはほとんどないけれど、やはり、日本語で大学教育を受けるということは、生半可なことではないと悟ったようでした。
日本人のお友だちも何人かはできたようですが、テレビやゲームの話ばかりするので、なかなか共通の話題で盛り上がれない様子。大学で会う以上に親しくはなっていないみたいなので、夏休が終わったら、自分からどんどん声をかけて仲良くなろうと思っていると言っていました。日本人はシャイだから、ということは分かったようです。
「ぼくは、日本人の友達より自立していると思います」
と言う言葉には、考えさせられました。実家住まいの同級生男子たちは、
「今、家を出て一人暮らしをしなければならなくなったら、どうしようと思う」
と、彼に話したそうです。確かに、E君は見た目こそちょっと幼さが残っているけれど、料理もできるし、自分のことは自分でちゃんとやっているみたいで、そのことに自信を深めていることが、私にはすごくうれしかったです。逆に、E君の存在が、日本人の同級生たちに何らかの刺激になればいいと思います。
「残念に思ったことはない?」
彼は、青雲の志を持って張り切って旅立っていったので、日本の大学に失望していないかが気になって聞いてみたのですが、それは一切ないときっぱり言ってくれたので、安堵しました。
留学生には一人ずつ、大学院生のチューターがついて、あれこれ相談に乗ってくれたりするらしいので、それを聞いて安心したのと同時に、大学側の手厚い指導・対応に驚きもしました。優秀な留学生の存在は、きっと、日本人の学生にとってもいい影響を及ぼすと、大学側は期待もしているのでしょうね。
大学のある地方は方言もあるのですが、
「ぼくは、意味は分かるけれど、その言葉を話せる必要はないと思っています」
と言っているのがおかしかったなあ。日本語学校で身に付けた「きれいな」日本語が乱れてしまうのをとても気にしているのです。
彼の毎日は、大学とアルバイト先と家の三地点をぐるぐる回りながら忙しく終わってしまい、悩んだり余計なことを考えたりする時間もないというので、
「あーでもない、こーでもないと心配したりするのは、暇がある人のすることだね」
と言って、3人で笑いました。
出来のいい、かわいい息子ができたような気分の私たち夫婦ですが、かわいい息子を日本に送り出してくれたご両親に、お礼を申し上げたいくらいです。心ばかりのお土産のお菓子を手渡し、
「元気でね。気を付けてね」
と言って別れました。
実は、モンゴルからポストカードを送って欲しいとお願いしたんです。一発で却下されました。日本ほど郵便制度が発達していないというのがその理由です。
でも、モンゴルで絵はがきを買って持ち帰り、9月に引っ越しのあいさつのハガキを日本のみなさんに送ろうと思ったようです。現在住んでいる大学の寮は半年で出なければならず、戻ってきたら引っ越すことになっているので、新しい住所をお伝えするのに、モンゴルのポストカードで出そうというわけです。
確かに、モンゴルのカードを受け取れば、日本人はうれしいですよね♬ でもその前に、今の大学1年生のうち一体どれだけの子が、目上の人にきちんと手紙を出したりできるのでしょうか? 彼は日本語学校で、年賀状やあいさつ状の書き方を習っているので、こちらが腰を抜かすほど完璧な文章を書いてきます。
E君はすでに、1歩も2歩も、同級生たちの先を行っていると言わざるをえませんね~~。私が企業の採用担当者だったら、ヘンな日本語しか話せない(書けない)日本人より、自立していて、きれいな日本語であいさつ状やお礼状が書ける彼を採用します!