人間の鎖
「あの日はよく晴れていました」
1989年8月23日、リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国の首都を貫く600キロにもおよぶ”人間の鎖”に参加した、あるリトアニア人から聞いた言葉です。
「高速道路を急ぎました。空いている場所を探して車を進めましたが、そんな所はありません。人々が道にあふれていました」
当時、バルト三国はソビエトの支配下。世界に向けて、バルト三国の置かれている状況をアピールするために、普通の人たちが手をつなぎ、鎖をつくったというのです。詳しくは、こちらなどでお読みください。
「私たちがどれほど誇りをもって、独立を訴えていたのか、想像してみてください」
まだネットなど普及していない時代(と言っても、わずか20年ちょっと前のことです)、自由な活動が認められていない社会情勢の中、どうやって計画をたて、情報を広めていったのでしょう。特別なラジオ放送が行われたということですが、口コミも大切な役割を果たしたように思えます。以前、桃井かおりさんがTV番組でおっしゃっていたと思うのですが、「信じられる人から人へ、口づてに伝えていった」というのが本当のところではないでしょうか。
この地図にあるように、長い距離、しかも国をまたいで、同じ志をもった大勢の人たちが、とにかく手に手を取って並んだのです。ちょっと信じられないです。
この日の写真やビデオを見ると、老いも若きも、それこそ幼い子供までもが、手をつないで並んでいます。その様子は、リトアニアの首都・ビリニュスのシンボル「ゲティミナスの塔」の内部で紹介されていました。
モノクロの写真が伝える当時の様子の力強いこと。モノクロのビデオが流れていて、リトアニア語のナレーションは一言も分からないながら、何度も見ました。一度、見始めると、途中で席を立つのが申し訳なく思われるほど、真剣さが伝わってくる内容なのです。
この人間の鎖のリトアニアのスタート地点とされるのが、STEBUKLASという「奇跡」を意味するリトアニア語の敷石です。このことは、こちらで書きました。
ヨーロッパの中心という美術館
人間の鎖に連なったときの体験を話してくれたのは、ヨーロッパセンター美術館を作った男性です。ヨーロッパの地理的中心地がリトアニアにあるということが発表されたことに想を得て、「ヨーロッパの中心」という屋外美術館を作り上げました。
広大な敷地に現代アート作品が点在しています。作品が巨大なので、迫力満点。
リトアニアの自然の中に溶け込むアート。日本人の作品もいくつかありました。
使用済みのテレビを大量に並べてソビエトのプロパガンダを風刺した作品は、「テレビをもっともたくさん使ったアート」として、ギネスブックに載ったそうです。
脇にレーニン像が倒れているのですが、この夏訪れたときには顔の部分がなくなってしまっていたので、もはや誰だか分からない状態でした。
作品を一つずつ見ながらゆっくり歩いても楽しいですが、もし、ここを訪れることがありましたら、人間の鎖のことを一瞬だけでも思い出していただけるとうれしいです。