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原発事故と伊集院静氏、そしてフィンランド

今日は今までのブログと全然違う雰囲気の内容になります。北欧はちょっと関係しますが、楽しくルンルンする話ではありません。ちょっとまじめなことにお付き合いいただける方は、先をお読みください。(深くおじぎ中)

 7月6日、つまり先週の金曜日、ロンドン在住の友達がTwitter経由Facebookで、「福島の原発事故は、日本人がこうだから」という内容で、事故調査委員会の最終報告書についての英メディアの報道を教えてくれた。リンクされていたThe Financial Times とThe Guardianの記事のうち、すぐに読めたThe Guardian紙の記事には、調査委の委員長コメントとして、日本人の国民性が事故の根本原因であり、残念ながら「メイド・イン・ジャパンであることを認めざるを得ない」と書かれていた。

以下に、その記事中、友人と私が大きく驚いた個所を抜粋して紹介する。(赤字は私)

The commission's chairman, Kiyoshi Kurokawa, a professor emeritus at Tokyo University, said in a scathing introduction that cultural traits had caused the disaster.

He said: "What must be admitted – very painfully – is that this was a disaster 'Made in Japan.' Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to 'sticking with the programme'; our groupism; and our insularity.
"Had other Japanese been in the shoes of those who bear responsibility for this accident, the result may well have been the same."
「メイド・イン・ジャパンってどういうことよ!」と思って、すぐにその日の朝刊と前日の夕刊を引っ張り出し(ろくに読んでいなかった)、目を皿のようにして委員長コメントを探したけれど、該当しそうな記述がない! 我が家が購読しているのは経済新聞なので、業界への配慮かな、と思いつつも、「事故は『自然災害ではなく明らかに人災だ』と明記、東電と経済産業省原子力安全・保安院など規制当局の『不作為』による安全対策の先送りが深刻な事態を招いた」ということには踏み込んでいた。

 

■論調の違いはなぜ起きた?

日英の論調の違いを私流に簡単に対比してみよう。

 イギリス:事故を引き起こした根本原因は、「お上」に対してあまりに従順で、疑うことを避け、一度決めたスケジュールを守ることを何よりも優先させ、集団で行動する島国日本の文化に深く根差した慣習にある。(ほかの誰かが責任あるポジションにいたとしても、結果は一緒だっただろう、とまで書かれているということは、日本人一人ひとりが当事者であると言っているに等しい、と私は受け取った。)

日本原発の安全性を高める規制の先送りを働きかけた東電と、黙認した規制当局のなれあい関係が、事故のメインの原因。よって、人災であるという認識には立ちつつも、日本全体の慣習など、国民全体に関わることについては、トーンが弱い。

たった一人しかいないはずの委員長のメッセージが、日英でどうしてこうも大きく異なるのか?

そこで、事故調のHPで最終報告書を発見し、日英の「委員長メッセージ」を読んでみた。驚くなかれ、英文の「Message from the Chairman」と日本語の「委員長メッセージ」は、まったくと言っていいほど別の内容で、日本語で準備されたものを英訳したのではないことは明らかだった。日本人に伝えたいことと、英語を読む人たちに伝えたいことを、伝えやすいように別々に書いた、という感じがする。

なるほど~。英文のメッセージを読んだイギリス人たちは、これを元にして、刺激的な記事を発信したわけだ。

 

■記者会見の動画

あたふたと、そんなことをしていたら、今度は、朝日新聞が事故調委員長の会見内容として、報告書の英語版にあった「この原発事故はメイド・イン・ジャパンだった」との表現を、日本語文の序文にも明記する考えを明らかにした、と報じていた。

ええっ!

そこで、今度は、日本外国特派員協会の会見の様子の情報を探してみると、素晴らしいことに1時間以上の会見の様子がYouTubeにアップされていた。音声が悪くて、きちんと聞き取れなかったが、外国人記者からは「日本語と英語で序文の内容が違うのはなぜですか」という質問が何度か出ていた。私が見ていた範囲では、その質問に対し、委員長は、「明記した方がよければ、そうしてもいいよ」的なことを軽く口走った(だけの)ように見えたのだが、朝日の記者の表現では、「明記する考えを明らかにした」となっている。

 

■「日本人の総意」という意見

この週末は、家族とのイベントごとの合間を縫って、勝手にこの問題を追いかけ、さあ、今日は本でも読もうと、『続・大人の流儀』(伊集院静)を読んでいたら、伊集院氏も原発事故について書いていた。

続・大人の流儀

続・大人の流儀

東京でのうのうと暮らしている私とは違って、仙台であの震災を体験した当事者ならではの言葉が重たい。エリートたちへの視線は厳しいが、しかし同時に、こうも書いておられる。(下線は私、以下同様)

「放射能汚染は私たちが想像するよりも遥かに超えたレベルで進んでいるのだろう。

ーー政府は最初にそう言わなかった?

そんな議論を今さらして何になるのか。

原子力発電を認めたのは、私たち日本人一人一人の総意である皆が認めて原発は国のエネルギーの三割近くを担ってきた。その恩恵に与ったのは私たち日本人である。それをまるで勝手にお上がやったように言うのは間違いである。

 これは、まさに、事故調委員長が英文で、”Made in Japan”と表現した日本人の国民性原因説を、別の言い方に置き換えたものと言えないだろうか? 実は、日本語の序文にも、それを匂わす表現がある。ちょっと長いが、該当箇所を抜き出してみよう。

「想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。そこには、ほぼ50年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の『思い込み(マインドセット)』があった。」

 

 ■フィンランド的な考え方

事故前は、よっぽど関心を持っている人以外、原発が話題になることはなかったように思う。少なくとも私の周囲では、口にする人は皆無だった。しかし、あの事故が起きてからは、生活のあらゆる面で影響が出て、みんな、きちんとしたことを知りたいと思うようになったのではないか?そこで、私の大好きなフィンランドである。池上彰氏が、使用済み核燃料を埋蔵する施設について、さきほどテレビ番組報告した。

私のブログでも紹介したが、フィンランドには固い岩盤がある。池上レポートによれば、19億年ほぼ変わらなかった強固な岩盤を掘り進め、地下約400メートルに使用済み核燃料を埋設してしまおうという計画が進められている。

この最終処分場(=通称オンカロ)がある自治体が、なぜ、この「迷惑施設」を受け入れたのか。番組では町長さんが、非常に冷静にコメントしていた。この町は原発によって経済的利益を得ているので、その施設の出すゴミの始末も当然やらなければならないーーこの深い一言に、私は今、静かに感動している。