郵便とリアルでトラベルライフ

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懸命に働きたくなったりしている

ANAのパイロットと整備士の方のお話をお聴きする機会があったことは、過去のブログに書いた。お二人のプロフェッショナルな態度にとっても触発されたのが、自分でも意外だった。忘れないうちに、自分の職業態度を振り返ってみようと思う(そういうことにお付き合いいただける方は、続きをお読みくださいませ)。

そもそも、なんでお二人の話にそんなに感激したのか。私の勝手な想像だけれど、ボーイング787開発チームという多国籍軍の中で、launch customer としてANAとしての要望を伝え続けた彼らは、ANAの社員という枠を超えて、「日本人」や「日本の国益」までも代表した瞬間があったのではないかと思ったからだ。文化ギャップは思わぬところにあるし、多国籍軍の中で(しかも、仕事上の言語は絶対に英語だったはず!)働くのはかなりシビアであることを知っているから。

プロフェッショナルな仕事人にぐっときたのには、わけがある。ちょうど前の日に読んだ、伊集院静氏の『続・大人の流儀』の文章が頭から離れなかったのだ。

「社会の中には、女、子供が居てはならぬ場所、席がいくらでもあるんだ。金を払っていようがいまいが、そんなことはどうでもいいんだ」と伊集院氏は息巻く。(「女、子供」という表現は好まないが、ここは堪えてスルー)

「たとえば電車の指定席、グリーン席だ(後略)」

その理由に、私はしびれましたよ。

「指定席、グリーン席は普段、この国のために懸命に働いている大人が座る場所だ。仕事に疲れて休んでいる人もいれば、考えごとをしている人もいる。そこでママ、ジュースとか通路を走られたら、普通は手をつかんでひっぱたかれても仕方なかろう」

ここを読みながら、私は2つのことを思い出していた。

【その1】うちの夫の言葉

原発事故後、放射能汚染を恐れて避難が相次いだ時期、近所の友だちが小さな娘を連れて東京を脱出した。私はなぜか非常にショックを受け、夫に「Y子さんとSちゃん、大阪に行っちゃったよ。旦那さんは東京に残ってるけど」とぼやいたら、うちの夫は私にきっぱりと言った。「日本のGNPを支えているような仕事をしている人間は、簡単に仕事を放り出して逃げ出すことなんてできないんだ!」

もちろん、安全圏に住んでいたからこその発言であり、うちに小さな子供もいない。東京で同様の事故が起きれば、何をさておいても脱出したと思う。「過剰反応すんなよ」という意味合いだったのだろうが、私は、「あ~、日本のGNPを支えるような仕事かぁ。(うそでも)そう思えるなんてかっこいいぞ!」と、本筋とは関係ない部分に感動したその時の心のドキドキを、今でもはっきり覚えている。

【その2】飛行機のビジネスクラス

昨年、短期間の仕事で頻繁に国際線に乗った。その航空会社のフライトには、必ずと言っていいほど赤ちゃんや幼児が乗っていて、彼らの家族は、エコノミークラスの最前列に座っていることが多かった。赤ちゃんを寝かせるベッドを設置できる唯一の場所だからだろうが、問題はその位置だ。カーテンだけで仕切られたその先は、「懸命に働いている」ビジネスピープルのための空間。しかし、幼い子供の泣き叫ぶ声は、カーテンなんてものともせずに、ビジネスクラスの後方席にも響くはず。

ず~っと大声でおしゃべりし続けていた5歳くらいの男の子の近くの席になったことがある。私は「懸命に働いていた」わけではないが、仕事のことで少しは考えごとをしたかったので、その子が奇声を上げるたびに、ちょっといらっとした。だから、「難しい商談に備えて緊張していたり、仕事で疲れ果ててひたすら眠りたい人には、これはたまらんなあ」と思ったりした。(あれ? 私がビジネスクラスに乗ったときは、泣き声は聞こえなかったな。前の席だったからか、その便はおチビちゃんが乗っていなかったのか…。)

小さな子供だって飛行機に乗る権利はあるし、そもそも親の都合で乗っている。一方で、必死に働いているビジネス(ウー)マンは、仕事や休息のために少しでも快適な環境を確保すべく高いお金を払っている。だから、席はきちんと分けたほうがいい、お互いのために。

おっと、今日、書きたいのは、要するに、一生懸命働くということについて。一生懸命働けば、疲れるし、消耗もするーーだから、ビジネスクラスやグリーン車が必要なんですね。そして、結果として、自分の仕事について、誇りを持って堂々と話せるきちとした社会人になる。

うちの夫を含めほとんどの人は、一義的には生活のために働いているはずだから、働く態度を表現するのに「国のため」(「お国のため」じゃないですよ~)という言葉は必ずしも適切ではないが、いざというときにそういう気持ちに一瞬でもなれる人はかっこいいと、ANAのパイロットや整備士のお話を聞いていて感じた。

私もかつては、古い言葉で言うと「総合職」として、仕事に燃えていた。あまりにも精神的に未熟だった私は、個人レベルで「日本人をなめるなよ」と思ったことはあっても、「この国のために」働くなんていう意識は微塵もなかった。今思えば、「雇われている」というアルバイト根性が抜け切れていなかったのだと思う。だから、そのころの仕事について、あんなに何年も費やしたのに、胸を張って話せない。情けない。

ここ数年、“ほぼ専業主婦ライフ”をエンジョイし、日々の生活を大切にし、仕事以外の楽しいことをいろいろとやっている。心身ともに疲れ果て、「フルタイムでは働かない」と決めた私が、ひょんなことから「懸命に働くこと」に初めて魅力を感じている。すごく不思議で、清々しい。良いご縁があれば、ね。